きのこのこ、元気な子、ぼっちの子
ここ2日、ほんの少しだけ盛り上がった話題があります。
そうそれは古より続く争い。
この争いのせいで
645年6月12日中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我入鹿を殺害し(乙巳の変)
1582年6月2日明智光秀が織田信長を自害に追いやり(本能寺の変)
1878年5月14日大久保利通が士族一派(瀬田宗次郎じゃないよ)に殺され(紀尾井坂の変)
1932年5月15日犬養毅が海軍青年将校らに殺され(五・一五事件)
1936年2月26日政府の重要閣僚らが次々と殺され(二・二六事件)
ました。
そう、それは「きのこvsたけのこ戦争」でありました。
きのこ(以下K)派の観点から、たけのこ(以下T)派に主張を行います。時間が足りないので2つに留める。
①Kは変化に富んだ菓子である。
Kは笠を象ったチョコ部分と柄を象ったスナック部分で形成されている。このチョコとスナックは分離が容易である。よって、同じ菓子でも食べ方や袋の状態によって個性豊かなKと食べ方で何百通りの楽しみ方ができるのである。
果たしてチョコをコーティングした暴挙に出ているTに、まるで日本の現代教育のように画一化を図ったTに、この面白さは出せるのであろうか。
②Kは食べやすい菓子である。
チョコの性質上、温度の高い場所に放置しておくと溶けてしまう。しかしKならば高い温度でも柄部分を持てば手を汚さずに食べられる。また形状が崩れていても個性豊かな食べ方を受け入れる心の広いK愛好者ならばそれも一興として楽しめる。
果たしてチョコをコーティングした暴挙に出ているTに、あの全体の二割にも満たないスナック部分が維持できるのであろうか。画一化に慣れた応用力に乏しいT愛好者達はTの変わり果てた姿に果たして正気を保てるのであろうか。あと単純にTの周りにこびりつく粉は通常時でも鬱陶しくはないのだろうか。
スナック菓子としてのKのTに対し優れているところを上げたが、それでも私の隣に座る社員の方(もちろん先輩、というか皆先輩)は
「Tの方がグラム数でKに比べコストパフォーマンスに優れている」
と主張した。
子供から大人まで愛されるべき菓子にコストという観点を持ち込むのはナンセンスではないだろうか。あくまで楽しく食べることを目的とした菓子に単純な経済を主張するならば、自身で重曹とクエン酸を買ってきてラムネでも作ればいいのである。
牛丼やハンバーガーならまだしも数gの差を意識するところからも、T愛好者の狭量さが伺える一幕だった。
・・・ごめんなさい。あくまでお菓子のように軽く甘い冗談なので、軽く受け流していただければ幸いです。
あと、ときの権力者と反乱者がそれぞれどちらの愛好者だったかは定かではありません。ですが、織田信長はきのこ派だったと考えています。