犬を飼っていた人に悪い人はいない!?
昔から言われてきたことだと思います、この「犬好き悪い人いない説」。
動物好き、特に犬については悪い人はいないっていうのはよく耳にします。
本当でしょうか?
この世の中の人間を善人と悪人、あるいは善人、凡人、悪人と区別した上で、犬好きという嗜好あるいは個性属性をもった人間は、一人たりとも悪人にはカテゴライズされていないというのでしょうか。
なかなか大型ハンマーのような暴論だと私は感じます。
まあこの説を崩すには、犬を飼っていた凶悪犯罪者なんかを挙げればいいのでしょうが、それだとつまらないのでもう少し回りくどくねちっこく思っていることを話します。
まず悪い人をどう評するか
A道義上、社会通念上良くない行いをする人間を「悪い人」とみなす。
B自身にとって好ましくないあるいは都合の悪い人間を「悪い人」とみなす。
正直、このどちらかであると思います。
西郷隆盛を例にとって考えましょう。
彼は今なお後世に名を遺す幕末から明治期にかけて活躍した政治家・軍人です。
そして1877年最大の士族の反乱「西南戦争」で指導者となりますが、政府軍に敗れて自刃しました。
そして上野にあるこの有名な銅像から分かるように彼は非常に犬が好きでした。東京の自宅には数十頭の犬を飼育し、また西南戦争最後の戦い「城山の戦い」でも追い詰められた西郷は連れていた犬の首輪を外し逃がしたそうです。
それほど深く犬を愛した西郷隆盛は果たして「悪い人」でしょうか。
Aの視点で見るなら、彼は日本政府に異を唱える士族たちの起こした反乱の指導者でした。政府にとって立派な粛清対象行為です。
西南戦争は政府軍士族双方ともに6000人以上の死者を出す結果となり、反乱の指導者としてその責は大いにあると考えられます。
Bの視点で見ると評価は分かれます。政府軍側からみれば西郷隆盛は敵の総大将なので当然「悪い人」と思わなければならないでしょうし、また事情を詳しく知らない人間が「西郷隆盛が反乱を起こした」とだけ聞いたならばおそらく「悪い人」であると判断するでしょう。
しかし、西郷を担ぎ上げた味方の士族たちや西郷をよく知るものにとっては西郷は決して「悪い人」ではなくむしろ「良い人」であったと推測します。
つまり、良い人や悪い人なんて立場や思想、時代背景、個々人の関係性によってころころ変わる曖昧なものです。
犬を飼っているからなんていう簡素な条件付けだけで、人間をカテゴライズするなんて片腹が痛くなります。
例えば「金持ち喧嘩せず」理論と同様「犬好き喧嘩せず」なら確かにAの観点から見れば喧嘩なんていう暴力的な手段に訴えたり、人の痛みが分かる心の持ち主なんて「良い人」評価はが出来ます。
しかし私のようなひねくれ者からみれば、計算高く喧嘩という非効率的な手段をただとらないだけでもし喧嘩が最も効率的な手段と判断すれば行使も躊躇わない究極の利己主義、あるいは強烈な保身感情の持ち主つまり「悪い人」であると判断できます。
良い人悪い人なんていう評価が、いかに曖昧なものか少しでも感じて頂けましたでしょうか。
最後になりますが、私が捻くれているだけかもしれませんが、他人が犬を飼っている人のことを
「あの人は良い人ね。もしかしたら犬を飼っているからかもしれない」と評するのであればまだこの「犬好き悪い人いない説」はまだ多少信頼できます。この言葉を言う人が多ければ多いほど真実味は帯びてくるでしょう。
ですがもし、犬を飼っている本人が周囲の評価に気づき「犬好き悪い人いない説」を唱えたところで、それはただの犬をダシに使った薄っぺらい自分良い人アピールにしか聞こえなくなります。
例外として本人がもののけ姫のサンくらいに犬に育てられた場合でしたら、その言葉は信じるに値するでしょう。
「山犬に育てられた女の子に悪い人いない説」は唱えても良いかもしれません。