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金曜からカレーを食べてみよう

天パ眼鏡が食ったり読んだり考えたり

思ってたんと違う

人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。何かを得るためには、それと同等の代価が必要になる。それが、錬金術における等価交換の原則だ。その頃僕らは、それが世界の真実だと信じていた。

漫画「鋼の錬金術師」の核となる台詞ですが、もちろん錬金術師じゃなくてもこの真実は当てはまると思います。

 
では、得た「何か」と釣り合わないと感じる対価を求められたとき、
 
まさかカレー専門店で想像以上に不味いカレーと出会ってしまったとき、
 
どんな対応が出来るのか考えてみます。このイライラをどこにぶつければいいのでしょうか。
 
①払わない
出来ればしたい。だけれども飲食店なら食い逃げになるし、他の店でも泥棒や詐欺にあたってしまいます。
自分も一度アパートの鍵を失くして鍵の開錠サービスを深夜に呼んだとき、電話では「鍵は実際に見なければ開くかどうか判別できません」とか言われたから、業者を呼びました。
しかし業者に「壊すしかありません」と言われたため、用済みでお帰り頂こうとしたところ、出張費として8000円請求されたため、結局何もできていないこの業者に1時間以上払うのを渋り続けました。
これ以上支払わないなら警察呼ぶと言われて泣く泣く払いましたが。
 
②勉強代として我慢して払う。文句は言わない。
損益分岐点みたく勉強代分岐点が人によって値段やサービスそれぞれに存在すると思います。
自分の場合は新作カップラーメン(148円)の味が不味かった場合は「仕方ない、これもまた経験」として我慢しますが、店主自慢のラーメン(1000円)の味が不味い場合は文句の一つもつけたくなります。心が狭いとか言わないでください。
 
普通の人は値段が高くなればなるほど、モノやサービスにかける期待(ハードル)も高くなり、判断が厳しくなります。
なのでもし、ジャンクフード店や大衆居酒屋、普通列車で手厚いサービスを求めて文句をいう人がいたら憐憫の情をかけてあげましょう。
彼らこそ本当に心が狭い人種です。
 
③一応体裁として払うが文句や愚痴を発信する
個人で情報発信が気軽に出来るようになって、一番目立ってきたのが③ではないでしょうか。
口コミという言葉も出来た当初は口頭でのコミュニケーションだったはずなのに、今はインターネット上でマーケティングとして扱われています。ブログや掲示板、SNSが爆発的に広がっていったのと、消費者が企業ではなく同じ立場の消費者の声に耳を傾けるようになったからでしょうか。
今では口頭でのコミュニケーションは「噂話」って言った方が伝わりますもんね。
 
自分の場合、ブログやツイッター、FBでは第三者が特定できるレベルでの批難は投稿しないようにしてます。(新宿の○○って店の料理は不味い!とか)
だって、第三者からは分からなくても自分のことを知ってる人間に広まるのは人間関係に悪影響しか及ぼしそうにないですから。
友人や知り合いがラーメンの値段やサービスの悪口をネットで言っていても決して好印象は持たないはずです。
 
しかし、匿名制になると一気にタガが外れ攻撃性が増してしまいます。(もちろん一線は越えませんが)
こちらの身元が分からず、傷つくことはない安全な距離からの攻撃というものに優越感を覚えてしまうからでしょうか。
ですが、一度投稿してしまった批判はネット上で見えなくなることはあっても消えることはまず無いし、例え消されたとしても受け手側のどこか(心とか)に残ります。
覚悟もない攻撃はしないほうが身のためですね。
 
なぜ③の後半でこんなセンチメンタルなことを書いたかというと、自分も放送という形ですがサービス提供側に立ったことがあります。その時に頂いた自身の放送に関する感想の中で、100件の良い口コミの中にある1件の悪い口コミを自分は忘れたことはありません。
 
相手が企業であれ個人であれネット上に安全な距離なんて存在しないってことを認識しておくべきですね。
 
ただ、余りにも粗悪・劣悪なモノやサービスは残念ながら存在しています。そうしたものを無くしていくために、①、②に比べて断然③のような手段が有効なのも事実であると考えます。