三国志で好きな武将を紹介します。(蜀編)
とうとう6月なのか、まだ6月なのか、感覚的には測りかねるところでありますが、6月になりました。
昨日に引き続き、三国志のお気に入り武将の紹介。
今日は蜀の武将です。
蜀という国は魏や呉と比べて成立したのが遅いし、またどこか成立の仕方もぼんやりとしているので自分の中では劉備玄徳という男に人や武将が集まって出来た集合体みたいなイメージです。
もともと劉備が傭兵のような立場で各地を転戦した末、様々な地域で、様々な武将に仕えていた強者たちが集まっていますので、その能力や魅力は極めて個性的に感じます。
また王朝としての正統性や、国家としての正当性の議論は込み入った話題になるのでここでは自分の主観で語らせて頂きます。
まず一人目は「黄忠」です。
彼は劉表配下から、曹操を主君とする韓玄の配下になった後劉備の下に来ます。
黄忠のイメージとしてはやはり「スーパーおじいちゃん」です。
演義だと60歳を超える老体ながら戦場を駆け巡り、どこぞのアーチャー張りの活躍を見せます。
中でも一番は定軍山の戦いでの活躍です。この要衝・漢中で行われた戦いで黄忠は、率先して軍を率い、魏の猛将である夏候淵(あの人は狼だぁby許チョ)を討ち取る働きをみせます。
その活躍ぶりから、中国では老いてなお益々盛んな人(何が盛んなんだろう。血気かな?)を老黄忠と呼ぶそうです。
現代まで語り継がれれる大武将の一人です。
2人目は「ホウ統」です。
蜀の抱えた奇跡の二大軍師の一角です。
諸葛孔明が「臥竜」と呼ばれていたのに対し、ホウ統は「鳳雛」と称せられていました。
その醜い風貌から、孫権には疎まれ劉備には誤って県令(今でいう市長レベル)の職に宛がわれます。
しかし大役であればこそ輝くという人物評の通り、赤壁の戦いでは連環の計を献策し見事呉・蜀連合軍を勝利へ導く活躍を見せます。
しかし、蜀という国が出来上がる直前に、劉璋という武将を攻めていた際矢を受け亡くなってしまいました。
演義では「落鳳坡」という地名で討ち取られたとされており、正に鳳雛が落ちる場所となってしまったことになります。
早くに亡くなったため、軍師としてのエピソードは多くありませんが才気に溢れる人間であったことは伺えます。
あっしでほげさでワカメ
最後の一人は「法正」です。
ホウ統がいなくなった後蜀が成立するまで劉備を支えた軍師です。
諸葛孔明やホウ統に比べて蜀の軍師としての知名度は落ちますが、その能力はあの人材マニアの曹操をして
「わしは有能な人材をほぼ全て集めたが、なぜ法正のみ手に入れられなかったのだろうか」
と言わしめました。
彼は特に軍才に秀でており、黄忠が大活躍した定軍山の戦いでも黄忠含む蜀軍の指揮を執ったのはこの法正でした。
特に蒼天航路の描写が素晴らしく、対夏候淵戦ではその軍才をいかんなく発揮し、対曹操戦では曹操の持つ強すぎるカリスマ性と天性の戦巧者ぶりをひしひしと感じながら、その身を削り振り絞りながら策を生み出し続ける様は、その場にいた劉備じゃなくても圧倒されました。
定軍山の戦いに勝利した蜀は劉備を漢中王として本格的に国家として動き出しますが、法正はすぐに亡くなってします。
その死に悼んだ劉備は、蜀の人間の中で法正に唯一「翼侯」という諡号を諡ったそうです。
その後蜀は諸葛孔明一人では支えきれないのか戦での敗北が目立ち始めます。
「蜀は龐統を得てから勝ち始め、法正を失ってから急に勝てなくなった」という評を拝見しましたが、その通りではないでしょうか。