今の時間と過去の時間~懐古厨ではあらへんで!~
こんな曲を聴きながら。
懐古厨。
それは「昔の方がよかった」という言葉を連発し、むやみやたらに今あるものを否定したがる人たちのことであります。
昔を懐かしんだり、振り返ったりする「懐古」とは意味が異なるので注意が必要です。
もしあなたが「今を攻撃し始めたら「懐古厨」になるので注意しましょう。
代表的な懐古厨といえば、例えばこの人達がいます。
クレヨンしんちゃん映画「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」に登場する敵キャラケン(左)とチャコ(右)ですね。
昔(20世紀)を懐かしみ、今(21世紀)を否定しようと懐古主義が暴走し、今を壊すために画策する秘密結社「イエスタディ・ワンスモア」のリーダーとその恋人?です。
この映画自体、感想で記事を書けるくらいめちゃくちゃ面白い映画なのでぜひ見て下さい!(またDVD借りてこようかな・・・)
もちろんこの映画を観て、「昔のクレヨンしんちゃんの映画は良かったなあ」と思い出に浸ったり、もう一度観直すことは問題ないですが、
もし、その言葉に今のクレヨンしんちゃんの映画を否定批難するニュアンスが含まれてしまうと、途端に「懐古厨」の仲間入りをしてしまいます。
また「一番面白い」といって比較したり(同ジャンルでランキング作り出したらもう怪しい)、今の作品を批判するときも曖昧で感情的な言葉しか出てこない場合も「懐古厨」になってしまっているかもしれません。
ですので、誤解が無いようお伝えすると、映画「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」はあくまで私の主観に基づく一意見であり、ジャンルや時系列問わず一切の作品を貶めたり過度に賛する気持ちは全くない上で、まず「面白い」と思った。
ということになります。
クレヨンしんちゃん問わず、長く続いている作品には「懐古厨」の存在が必ず現れます。
ですので、決して自分がそうならないよう、またもし見かけても穏やかな心を持ち続けたいですね。
ではここで、自分自身を対象に「懐古厨」になった場合どうなるでしょうか。
簡単な例をあげると、
「前のクラスが良かったー」とか「高校時代最高だったー」ですね。
自分を例に現在までの時間の使い方を単純化してみると
小学校では、学校(勉強・部活)、少年団、塾、習い事、友達と遊ぶなど書ききれない程様々なことをやってました。
教師のいじめに立ち向かったのもいい思い出です。
中学校では、学校(勉強・部活)、塾、ボランティア、友達と遊ぶなど少し磨かれてきました。
高校では、学校(部活・行事・勉強)、塾、友達と遊ぶなど中学校に比べて大分頻度に偏りが出てきます。
大学では、大学(授業・ゼミ・サークル)、アルバイト、飲む、一人で遊びに行く、ネットサーフィンなど自分自身の特徴に合った行動を選んで使っていました。(無駄遣いが多かったことは否めない)
そして現状社会人は、仕事、ネット、飲む、一人で遊びに行くです。
まずい位に洗練され過ぎて、必要なものまでそぎ落としてしまった感が見えています(笑)
私の経験から振り返るに、懐古は「個性と多様性の丁度いいバランス」の時に一番強く生じるのではないかと思います。
小学校~中学校は皆義務教育を受け、何かしらの部活に入り、学校以外でも友達と会って話したりします。
その時一瞬一瞬はとても楽しいかもしれませんが、いざ振り返ると内容に個性がなくそこまで有り難がる必要も感じないかもしれません。
一方で高校~大学は自分のレベル合った教育を受け、所属する組織も自由、個人の時間の使い方も自由になり時間と裁量が大きくなります。何か一つのことに打ち込んでも良いし、色んなことに挑戦も出来ます。
そういった個性溢れる経験が振り返るべき良き思い出として昇華されるのではないでしょうか。
懐古は自分を優しい気持ちにさせます。ですがあまりにその甘さを摂取しすぎると、やがて依存となり今を見ていけなくなりそうな気がします。
なので、今「も」楽しいと思うようにしています。
それがたとえ最近の思い出が仕事と艦これの事ばかりで、2日前の夕食を回顧できなくなっていてもです。
・・・あれ、自分自身を懐古したら悲しい気持ちになってきました(笑)